教えることが一番の学び~1つのクラスを多学年で構成することの利点~

教育

一番学びの効果が出るのはどのタイミングか?
多くの方が認識されているのは「アウトプットした時」だと思います。

これはそのとおりで、インプットしてもそれを実際に活用する
アウトプットの場がないと、頭に入れたことはいずれ忘却の彼方です。

資格試験の勉強などはまさにそれですね。
講義で学んだこと(インプット)を練習問題を解いてみる(アウトプット)ことで
定着した知識にするわけです。

そしてもう一つ、個人的に有効な方法があると思っていて、
それが「人に教えること」です。

社会人の方は、ご自身が新入社員の時代を終えて
2年目に入ったときに事を思い出してみてください。
上司などからこう言われませんでしたか?

「次は君が新入社員に教える立場になるのだから、よろしくね」

これを聞いて多少なりともプレッシャーに感じた人も多いかと。
「新入社員から質問されてもある程度のことは答えられるようにしておかなくては」
そう思い立って、1年間学んだ知識や経験を棚卸しするでしょう。

そこで気づきます。

「自分、実はわかってないことが多かったんだな」と。

新入社員への指導をシミュレーションしているときに、
「あれが答えられない」「これがあやふやなままだ」
このような過程を経るのが定番です。

しかし、これはチャンスでもあります。
新入社員への指導を通して、自分の知識や経験の
アウトプットをする絶好の機会なのですから。
教える立場が「学び」を加速させてくれます。

こういう風に部下や後輩、新入社員などに対し、教える立場を経験すること。
これがすごく効果的です。

ただ、それはそれでよいのですが、一方でこうも思います。

「こういった、人に教える立場を子どものころから経験させれば、より効果があるんじゃないか?」

小中高の学校生活では、
授業でひたすらインプット→定期試験などでアウトプット
がごく一般的な学びの過程かと思います。

でもここには「人に教える」という過程は含まれていません。
あくまで自分一人でインプットとアウトプットが完結しています。
せっかくの一番の学びとなる「教える」がないのはとてももったいないです。
教える機会を学校のカリキュラムとして設ける、こういったことが
必要なんじゃないかと感じます。

1つの方法としては、1つのクラスの構成を多学年の児童や生徒にする
といったことが考えられるかと思います。
(中学や高校だと学習範囲の難度もあって大変なので、実現できるとすれば小学校かと)

上の学年の児童は、当然下の学年よりも多くのことを学んでいます。
その上の学年の子、例えば6年生が1年生とペアを作り、
勉強その他学校生活で分からないことなどを教えるような仕組みなどがあると
上の学年の子はそのころから「教える」という経験を積むことができ、
最良のアウトプット(学び)を得られるんじゃないでしょうか。
もちろん同学年だけで行う授業も並行して設ける必要はあるでしょう。

江戸時代の寺子屋は、まさにそのような状況であったと思います。
特に学年の区別なく学びたい子どもたちが集まり、上の子が下の子の
面倒を見る、というのが自然と行われていたようです。

先生という立場の人もいましたが、その先生が何でもかんでも教えるのではなく、
基本的には子供たち同士で学びを深めあい、何か先生が出ていく必要の
ある時だけサポートに入った、という体制でした。

近年はただ教科書や参考書を個人プレイでインプットして、
また個人プレイで試験でアウトプットする、ということが主流ですが、
一度日本の歴史を顧みて、「教える」という立場子供のころから経験することの
重要さを認識してみるのもいいかもしれません。

~編集後記~

  • ペン字
  • IPO検定上級試験対策を。引き続き計画通り進んでいます。
  • 区画を借りている畑の様子を見に。オクラを1本とシソを何枚か収穫してきました。
  • 非常用の蓄電池を冷蔵庫に接続して、どのくらい持つかテストを。4時間で2割くらい消耗したので、保つのは半日くらいと思っておいた方がよさそうです。
  • キャットタワーの一番上でどやっているうちの猫
あたしが一番なのよ(なみ)

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