「一隅(いちぐう)を照らす」、これは天台宗を開いた最澄の言葉です。
天台宗の最澄は、学校の歴史の授業などでは名前は知っていても、
この「一隅を照らす」という言葉を知っている人は少ないでしょう。
国宝とは何者ぞ
宝とは道心なり
道心ある人を名づけて国宝と為す
故に古人の言わく、
「径寸十枚、是国宝に非ず
一隅を照らす 此則ち国宝なり」と国の宝とはなにか
出典:天台宗 一隅を照らす運動HPより https://ichigu.net/about/person.php
宝とは、道を修めようとする心である。
この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。
だから中国の昔の人はいった。
「直径三センチの宝石十個、それが宝ではない。
社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。
その人こそが、なくてはならない国宝の人である」と。
輝いている場所は社会のわずか一部分であったとしても、
そういう人こそが国の宝なんだ、と最澄は述べています。
会計の世界でもそうですが、人々に大きな影響を与えているような
素晴らしい活躍をされている方が大勢いらっしゃいます。
多くの人に学びや気付きを与え、会計という世界を前面に立って引っ張っている。
そんな方を見ると、尊敬すると同時に、
「自分には才能も影響力もないし、大したことはできないなぁ」
という自分を卑下するような気持ちがわいてきてしまうのもやむを得ないことでしょう。
でも、そもそも人間は人間の数だけ個性を持っています。
同じ個性を持っている人などありえません。
個性が違えば、当然活躍できる場所も違ってきて当たり前。
活躍を他人と比べること自体がナンセンスです。
それよりも大切なのは
「自分の個性を理解して、自分の手の届く範囲でその個性を輝かせる」
ということなんじゃないでしょうか。
それこそが、まさに最澄の言う「一隅を照らす」精神だと思うのです。
そして、その「一隅を照らす」人がどんどん増えていったら、どうでしょうか。
一つ一つの明かりは小さくでも、それがたくさん集まればそれは大きな光になり、
社会で大きな力を発揮していけるはずです。
私は会計士として影響力のある人間ではありません。
世間で名を知られているわけではないですし、特殊なスキルも持っていません。
ごくごくありふれた会計士だと正直思っています。
でも、そんな私でも、目の前の人の役に立てることがあるかもしれない。
自分のキャリアを活かして社会に貢献できることがあるかもしれない。
だったら、変に大きなことなど考えないで、自分が役に立てると思った範囲のことを、
どんなに小さくでも真摯に取り組めばいいじゃないか、と、こう思うわけです。
その活動の一つとして、今年の7月から就任した日本公認会計士協会東京会の
会計普及委員会を通じて、今の小・中・高の子供たちに、会計に触れてもらう
活動に参加しています。
実際に学校を訪問するのは、10月になりそうです。
私がかかわっていきたい「会計×教育」という分野。
すでに多くの人が取り組まれていて、私がやろうとしていることは
もう誰かがやったことの繰り返しになるかもしれないでしょう。
それでもいいんです。
それが誰かの役に立つなら。
それが「一隅を照らす」ことになるのなら。
もちろん、現状に満足するわけではないです。
研鑽を続けていって、できることを増やすための努力は続けます。
照らす光が大きいに越したことはないですからね。
皆さんも大変な中で日々過ごされているかと思いますが、
必ず誰かの役に立っています。誰かがあなたを頼りにしています。
全員が「一隅を照らす」存在、つまり「宝」なんだと思います。
この最澄の言葉をときどきでいいので思い出して、
自分にできることをコツコツとやっていきましょう。
~編集後記~
- ペン字
- 午前と午後で発表会のリハーサル。特に午前は9/7(土)出演予定なので今回がラストのリハーサルです。課題がまだまだ残っていますが、最後の詰めを頑張らないとですね。
- IPO実務検定試験上級の勉強を。資本政策です。ようやく今の本が1回転したので、知識を定着させるべく2周目に入ります。
- ふかふかのクッションに完全に埋もれているうちの猫
【SNS】フォローお願いします
- X(旧Twitter):会計・その他気づきの発信
- Instagram:日々の自己研鑽を発信
- note:旧ブログ。